土曜日, 7月 28, 2007

電脳コイル10話,11話,小説版

イリーガルを追う人たちが過去に何かを失っているという共通点から、イリーガルを一種のキャッシュとしてみることが出来るかもしれない。
サッチーやキューちゃんがGCであることを考えると割りといいアナロジーな気がする。
さらに連想を進めると、キャッシュというものはそこで起きた事の記録というかアーカイブというより、無意識に近い性質を持っているように思える。
過去と現在の差分を自動的に集積され、意識に影響は与えつつも、意識の上には決して上がってこない。キャッシュを明示的に取得するということは、夢を見るのと同様なのかもしれない。
このあたりから連想が苦しくなって来るけど、ヤサコが夢で過去に出会う事を考えると自我の三層構造はコイルを読み解くのに良い補助線になるかもしれない。

無意識(あっち側、イリーガル)、意識(現実空間、電脳ペット)とすると超自我に相当するのは何だろう?空間管理局(お父さん、おばちゃん、サッチー)かな?

日曜日, 7月 08, 2007

電脳コイル第9話

小学校の中を笑いながら走る人影ってのは、私が小学生の時に出会ったのとかなり近い。
問題なのは、うちの小学校にはそんな怪談は存在していなかったことと、
自分自身にもそんなものが見える前フリが存在していなかったこと。
唐突にそんなものが現れても、回収することは不可能な訳で。
私の体験もおそらく後輩達には伝わらなかっただろうし、伝わっていたとしても母校は廃校になってしまった。

子供の頃、そういうモノに遭遇した回数は、確実なもので4回、微妙なものはかなりの数になる。
大人になってからは見なくなったけど。



#下書きのまま放置してたら何を書きたいか忘れてしまった

土曜日, 7月 07, 2007

わしらの

ブログ投稿ごぶさたしております。
土日のアニメ鑑賞のサイクルがちょっとずつずれて、ここ3週間分くらい色々見逃しています。
そんな中、ぼくらのを全部見てみたりして、思考がウトゥになるってばよ。
家族と子供のかかわりが色んな角度から描かれていて、ふと自分はおじいちゃんの存在が希薄だなって思い至った。父方は2歳のとき、母方は13か4歳のときにおじいちゃんは他界してしまったし、母方のおじいちゃんとは離れて暮らしていたのでたまには会っていたけれど、どちらもどんな人だったのか理解しないままいなくなってしまった。
おそらく普通に生まれてきて最初に誰かの死と向かい合う瞬間は年順からいってこの「おじいちゃん」である場合が多いのじゃないだろか。
少しの思い出とお葬式の記憶しか残っていないけれど。

今日帰りによったコンビニで、店員がおじいちゃんで、
「あっためなくてよかったかね?」とか
「お箸でいいか?フォークのほうがよかったか?」とか
なんかすべて会話がほっこりだったので、つい色々思ってしまったのでした。
モスで老人の雇用をしているというニュースがあったけれど、なるほど、ちょっと温かい気持ちになりました。

何がいいたかったかって?
親は孫のためには早く子供を生むべきだなと、思っただけです。
あーでも親になる資格がないようなDQNには生んでほしくありませんがね。

金曜日, 7月 06, 2007

電脳コイル第8話

イリーガルと電脳生物の違いはあっち側にいるかどうかだけでなく、飼い主がいるかどうかってのもありそう。
いままでのところ、こっち側には野良の電脳生物はいなかった。あらゆる電脳生物には飼い主が存在している。
電脳生物がどのようにマッピングされているかにもよるけど、何らかのきっかけで主人がいない状態がイリーガルになっているのだろうか。
イリーガル・クロエが吐き出したキラバグ(?)は、おそらくあのメガネの鍵に相当するんだろうけど、主より先に消えたらしいクロエが何故そんなものを持っているのか、単なる浴衣の回ではなかったようだ。