日曜日, 8月 31, 2008

Ubuntuから書いてみる

Ubuntuの設定が出来てきたので試しに書いてみる。

これだけだと寂しいので、もう少し書いてみる。

気づけば、前の投稿が記念すべき100エントリーなんですね。
前のblogも合わせればもう少し行くかな?

Bloggerの特徴は、開かれていながらも、他の利用者と繋がらないところだと思う。
「はてな」なんかを見てると、他と半強制的に繋がってしまうようで、それは良い面もあるだろうけど、鬱陶しいこともあるように思う。
その点Bloggerは、繋がろうと努力しない限り、徹底的に閉じていける。決して使いやすいわけではないし、Helpは何言っているのか良くわからないし、そもそも英語だったりするので、使いこなすのが大変だけど。
でも、宣伝をしない限り、ほぼ誰にも見られないので、だらだら書ける(まさにこのエントリーのように)ってのは良いことだと思う。

余談だけど、ここのエントリーがどういう風に広告と繋がるのか興味があったので、Googleのアドセンスをつけてたけど、大して面白く無いので外そうと思います。
よいですね?茄子さん。

そうそう、Googleヒット率は悪くないので、自分用メモを残しておくと、後から検索でたどりつけるのは便利です。
欲を言えば、コードの色分けが出来るような特殊記法と、注釈をうまくまとめられる特殊記法が欲しいなあ。

もう一つ、これは特徴なのかわからんけど、一つのアカウントで、複数のBlogを作成できる。
本来Blogってのはテーマごとに作るものであって、Python話とUbuntu話と日記とを一つのBlogに詰め込むってのは、どうやら変なことらしい。少なくともBloggerの機能としてはそうなってる。
でも、複数のBlogを管理するのって面倒だよねえ。

さて101番目のエントリーを投稿します。

LL Futureにいってきて

久々の中野はマルイがなくなった以外はあまり変わらず。
用事があったので「LLでアート」まで見て、帰ってきました。

で、その「LLでアート」について。

プログラム(予定表のほうね)では、「ファインアート」とあったので、結構期待したのですが、半分以上はコマーシャルと結びついたものだったので、ちょっとがっかりでした。
#結びついちゃ駄目ということは無いんですが

発表されたものだけだと、「変なモノ作りました」レベルと「アート」の境目が良くわからないのですよ。こんなこと出来るよ!っていう発表だからあれでもいいんだとは思うんですが、メディアアートの追っかけをしているような人から見れば、フラストレーションがたまるわけです。

真鍋さんが質問への回答で、「メディアアート」「メディアアーティスト」というものが現在存在しているかも微妙と言っていたように、「メディアアート」って社会的には、絵画や音楽のように認知されていないわけで、その辺のことをもっと語って欲しかったのだよね。
つか絵の具や紙だって「メディア」だし、なぜLL(コンピュータ)を使うとメディアアートで絵の具と紙だと絵画なのかってのはメディアアートが10年後どうなるかに強く関わるわけだし。

とはいえ、質問の前振りにあった「メディアアート」「インタラクティブアート」が作りやすくなったという現状は、例えば絵の具や紙が工業的に大量生産されるようになり、たくさんの画家が生まれたのと同じインパクトをもたらすことが期待できるわけで、それ自体は歓迎することなわけです。
昨日の「LLでアート」を見て、日曜メディアアーティストが大量に出現するというのは、ICCが休刊しちゃうような現在から、10年後もメディアアートが元気でいるには絶対必要なことだと考えます。

お二人の回答はどちらも、世界をセンスするデバイスが公共に溢れることで、メディアアートが生き残るようなことを言ってたけど、それって公共空間にしか発表の場が無くなるって予想なのかな?
それとも情報化された公共空間をHackする道具としてのメディアアートが作られるという意味かな?
それを見たら結局面白がると思うけど、公共空間の情報化に頼らないと成立しない作品ってのは、ちょっと寂しいような気もする。

このあたりのことをもっとうまく言語化したいなあ。

金曜日, 8月 29, 2008

結局のところ

いまのところ(おそらく将来も)type Zを普通に使うなら、普通にVistaの方がよいです。
明日はLLFに行きますが、type Zはどうしよう。一応もってくか。

火曜日, 8月 26, 2008

type Z に ubuntu アップデートしてみて

で、アップデート完了(kernel2.6.24-19-generic)してみて。
  • マウスカーソルに変なゴミが付く問題は解決。グラフィック周りの問題だったのかな?
  • 内蔵ネットワークはまだ使えない。残念だけど外付け無線LANでカバー
  • サスペンドは相変わらずエラーが発生し、その後トラックパッドが死ぬ。
  • 再起動しようとすると、終了するが電源が切れず、結果再起動しない。
新しいプラットフォームでもあるし、こんなもんでしょうな。

type Z に ubuntu それから

Ubuntuのフォーラムを見たら、やはりtype Zでネットが動かないとの報告を発見。

新しいvaioで有線も無線も使えない

まあ出たばっかりだからしょうがないですね。
で、その回答に外付けのLANカードをつけてみればとある。
素晴らしい!

type ZにはPCカードを挿すところが無いので、ヨドバシでUSB型のを1480円で購入。
プラネックスというところのGW-US54GXSという奴です。
選んだ理由は安さとbとgしかサポートしていないという枯れ具合。
Linuxでの動作保証は無いので、ダメだったときに泣かないための選択。

で、見事動きました。現在アップデート中です。

フォーラムにも報告したいけど、アカウントが必要な模様。
これを機会にとってもいいけど、正直アカウント管理が面倒。

このbloggerの記事が、必要とする人の検索に引っかかるよう祈ります。

月曜日, 8月 25, 2008

type Z に ubuntu

Ubuntu8.04.1をtypeZに入れてみるも、ネットワークが有線も無線も認識されず。

後からいろいろ気づいた。
  • サスペンド出来ない
  • ハイバネ出来ない?
  • 再起動がうまくいかない
  • マウスカーソルに変なゴミみたいなのがつく
アップデートすれば直るのもあるかもしれないけど、ネットワークが死んでいるのでどうにもならない。
最新のパッケージを持ってくればいいかな。面倒な人は次期ubuntuを待った方が良いかも。

日曜日, 8月 24, 2008

帰郷して、帰って来て

岩手に帰郷しました。
ここ4日間パソコンにもネットにもまともに触らない健康的生活でした。
おかげでいろいろ(Gainerとか、その他いろいろ)な話題に乗り遅れたようですが、健康的なので気にしない事にします。

ただ帰るのもつまらないので、鉄道ファンなら誰でも乗りたいであろう、岩泉線に乗ってきました。
終点の岩泉までWillcomは当然つながりませんでした。
やはり鉄道ファンなら岩泉線のついでに乗りたいであろう、三陸鉄道北リアス線にも乗りました。
トンネルが多いので携帯も満足につながりませんが、Willcomは駅でもつながりません。

帰る度に思うのは、食べ物と水がうまいことと、南部せんべいのバリエーションの増加、着実に衰退しているように見える街と、それに対抗しようとする人たち、自分の思考に岩手という土地が強く影響を与えているということ。

帰ったらtype Zが届いていたので、今週はこいつを整備して遊ぶ事にしよう。

日曜日, 8月 10, 2008

Pythonにおけるインスタンス変数の宣言

久々にPython。

Pythonのインスタンス変数 という記事を見つける。
ようするに、変なタイミングでインスタンス変数が作られるのは気持ち悪いから、ちゃんと宣言したいという話らしい。
でも、その対策案であるサンプルコードは何か変。
あれだと、クラス変数nameが追加されるだけで、インスタンス変数self.nameは何の変化もしていない。
インスタンス変数を宣言したいなら、__init__内でやればいいわけで、つまり対策前コードでも用件は十分満たしていると。
つまり、サンプルコードがよくないのかも。もっと正しく(?)汚らしいコードでないと、問題点も明らかにならないんじゃないかな。
というわけで、対策案が何か変なことを示す例を出してみる。

>>> class Hoge():
... name = None
... age = None
... def __init__(self, name):
... self.name = name
... def print_profile(self):
... print self.name, self.age
... def set_age(self, age):
... self.age = age
...
>>> a = Hoge("a1")
>>> a.print_profile()
a1 None
>>> print Hoge.name, Hoge.age
None None
>>> Hoge.name = "b1"
>>> Hoge.age = 20
>>> a.set_age(30)
>>> a.print_profile()
a1 30
>>> print Hoge.name, Hoge.age
b1 20
>>> a.age = 40
>>> a.print_profile()
a1 40
>>> print Hoge.name, Hoge.age
b1 20
>>>


こういう動作を期待しているとは思わないんだけど、どうなんでしょ。
コメント欄もないし、トラックバックも、はてな内ででしか出来ないみたいだから、コンタクト出来ないのが残念。

土曜日, 8月 09, 2008

「的」か「の」か

ヴェルナール・スティグレールさんの「象徴の貧困」という本。
最初見た時、「象徴『的』貧困」じゃないの?と思ったわけですが、一通り読んでみると、やはり「の」で合っているというのが私の意見。

つまり「象徴的貧困」だと、貧困によって何かが象徴されているように読めてしまうわけですが、この人が言いたいのは「象徴」を受容し操作する力の「貧困」についてであるわけで、いわゆる貧困問題について(少なくともこの本で直接的に)言いたいというわけではないようなのです。
付け加えれば、スティグレールさんにとってフランスにおける「象徴の貧困」という問題は、具体的で切羽詰まった現実の問題のようです。

とはいえ、フランス語は分からんし、相変わらず内容はまだ飲み込めていないので誤読の可能性はあるけど。
「象徴を受容し操作する力の貧困」てのもかなり怪しいまとめ方だなあ。
象徴といいながら、実は想像力の問題のような気もする。「象徴」とか「想像」とか「現実」とかのラカンっぽい用語は茄子さんの方が詳しいから、後で聞いてみよう。

ちなみにグーグルさんに聞いてみると、スティグレールさんと関係あるかどうかはともかく、「象徴的貧困」という言葉を使っている人もいるみたいですね。

追記
改めて読んだら、訳者あとがき(p240)でちゃんと「の」にした理由が書いてあった。
やはり「的」だと、貧困がなにかを象徴しているように読めちゃうから、あえて「の」にしたそうな。
一度読んだはずなのにすっかり忘れてる(むしろ覚えている?)。
気づいた事はメモを残さないとだめですな。

木曜日, 8月 07, 2008

VAIO type Z 注文

前々から欲しかったVAIO type Zを注文してきた。
Blu-layドライブは悩んだけど、結局パス。Ubuntuを載せてXOの母艦にする予定。
ついでに生活環境をMacからUbuntuにしようかと。

Vistaは一応残しておくつもり。IronPythonとかも興味あるし。

「8月下旬」に届くらしいけど、何となく旅行中に届く予感。

金曜日, 8月 01, 2008

最近読んでいる本

最近、ベルナール・スティグレールという哲学者の書いた、「象徴の貧困 1 ハイパーインダストリアル時代」という本を読んでいる。
この本のテーマ(というよりスティグレールさんのテーマ?)は、『本源的なナルシシズムの破壊』だそうな。
これだけだと良くわかないけど、具体例を見ていく限り、感情(情動)を消費対象とする事を問題視しているらしい。「泣ける」ことを売りにする小説や映画、あるいは「萌える」ことを売りにする漫画やアニメらを考えるといいのかもしれない。

これらのことから「物語消費論」や「データベース消費」という言葉が思い浮かぶ。スティグレールはマーケティングについて良く語るようだけど、「物語消費論」がマーケティングに使われていたとか何とか書いてあった事を考えると、きっとこれらは近い位置にあるんだろう。

もう5,6回読まないと、内容を掴めないとは思うけど、「第三次過去把持」という概念に関しては今のうちにメモしておきたい。
「第三次〜」の前に、第一次と第二次を簡単に説明すると、「第一次〜」は現在の瞬間の連続性を知覚すること、「第二次〜」は思い出す事によって過去を頭の中に再構築すること(再生的想像力)らしい。
詳しくは、フッサールの「内的時間意識の現象学講義」を参照せよとのこと。
で、第三次はなにかと言えば、機械によって記録(物質化)された時間的なもの(録音再生が例示されている)のことだそうな。この3つが渾然一体となって我々の記憶を構築しているというのがスティグレールさんの世界というか人間観みたい。

このあたりの考え方はキットラーと比較してみたいところ

そして、おそらくこの「第三次〜」と関連して、技術(機械)が記憶を継承する(あるいは機械に記憶を継承させる?)ということも言っていて、これはソフトウェアとはいえ、マシーンを作る人間として素朴に共感できる。
卑近な例だけど、僕は作業の効率化のために簡単なツールを良く作る。

今の職場環境はそれがやりにくくてストレスがたまっている

これはプログラムを書く人なら誰でもやる事とは思う。その多くはその場限りの使い捨てだけど、たまに再利用したり、他の人が使いたがるようなものが出来たりする。この時点でツールは単なる道具から、作成時点での自分の記憶を継承する機能を持ち始める。あの時考えたうまいやり方を、ツールの形にすることで、未来の誰か(当然自分も含む)に継承できるようになるわけだ。
もちろん完全無欠のツールなんて存在しない(そもそも書き捨てのつもりだったし)から、新しい良いやり方を思いついたら、そのツールを改造したり、スクラッチで一から書き直したりもする。でも、その作業だって、最初のツールがきっかけになっているのは言うまでもない。
僕がプログラムを書いていて一番楽しいのは、こういうツールが継承され、改良されていく風景を見ることだったりする。逆に、改良することが許されなかったり、何らかの理由で他者に改良を許せない状況にあるのは非常に辛い

FOSSに賛同するのは、結局この幸せを享受するためなのかもしれない(といっても何かのコミッタというわけではないけど)。
感情消費社会への対抗として、スティグレールさんが目指しているところはFOSSやMake、Craftの精神に近いものがあるような直観がある。

同じくスティグレールさんの本で、「現勢化 哲学という指名」ってのも読んでいるけど、こちらは自伝っぽい。でも、今の僕には内容が濃すぎて、平行して2冊読むのはちょっと無理っぽい。