土曜日, 8月 27, 2011

「小さな哲学者たち」という映画を見てきた

小さな哲学者たちというドキュメンタリー映画を見てきた。
これは、フランスはパリ近郊のZEP(教育優先地区)の幼稚園で行われた、3歳から5歳の子供に向けてなされた哲学の授業の様子を追いかけたドキュメンタリーで、原題は「Ce n'est qu'un début」。日本語だと「これは始まりに過ぎない」という意味になるみたい。
(ガンダムF91のラストの字幕のようだけど、全く関係ない)

哲学の授業といっても、哲学史ではなく、愛とは何か、死とは何かといった内容を、子供たち同士が意見を言い合い、互いの言葉に耳を傾け、時に反論し、時に賛成する。そういう態度を身につけさせるものらしい。話し合いだけでなく、それをフォローするように、テーマに沿った絵を描いたりもするらしい。

その一番最初の授業では「大人と子供の違い」について先生が質問することで始めるのだけど、しばらくすると子供たちは黙りこんでしまう。それだけでなく、まったく関係ない話を先生に語ろうとしたり、隣の子とおしゃべりしたりと、授業の体を為さないまま終わってしまう。
ZEPとされる地域は「恵まれない」とされる家庭が多く、また移民(二世も含む)の家族が多い土地で、教育レベルが高くないところだそうだけど、3歳児の教育レベルなんて、どこだろうとこんなものだろう。3歳の頃の自分にこの質問をしても「大きいのが大人で、小さいのが子供」以上のことは言えないと思う。先生は「大人がやっても良くて、子供がやってはいけないこと」は何か?とか、大人目線で見ればうまい質問をして、子供が考えるのを助けるのだけど、それでもやっぱり難しいらしい。

それでも何回か授業を繰り返すうちに、自分や家族の実体験を元に具体例を提示した上で、「だから○○と思う」という議論の下地のような物を子供たち自身が獲得していく。子供の体験した事なので、提示される例は「チョコレートを出しっぱなしにしたから溶けちゃった」とか「お父さんとお母さんが喧嘩したけど、最後は謝っていた」みたいにささいだけど、ものすごく具体的。
それと小さくても流石フランス人というべきか、女の子が好きな男の子と一緒にいる絵を描いていて、それを見たその男の子が「君とはもう別れたんだからそんな絵を描くな」と言ったりとか、子供たちの恋愛絡みの光景が多く映されている。知らないだけで日本の子もそんな感じかも知れないけど。

印象的だったのは、ある女の子が障害を持った父親の事を「お父さんは自分で歩けないけど、自分で動ける」「自分とは違うけど同じ」と矛盾した言い回しで語っているシーン。他の子たちは、この矛盾を追求するのだけど、女の子はそれにきちんと応答しようと試み、最終的に「障害があるとしても、そのままのお父さんが好きである」事を表明する。矛盾の追求に対する回答にはなっていないのだけど、おそらくその子にとっては、矛盾の解消以上に重要なことに辿り着いたのだと思う。

もう一つ印象に残ったのは、子供たちの多くが「自由」というものは一人で出歩く事であるという意見に同意していたこと。さらに大人が子供を「自由」に歩かせないのは、子供を守るためであることをきちんと認識していること。自分たちが「自由」で無い理由は、大人たちが守ってくれているからという事を理解しながらも、柵を乗り越えて怒られた子供の話や、旅行に行った子が滞在先の家から一人で海まで歩いたことを自慢気に話すのを、わくわくした顔で聞き入っているのが「移動の自由」の原点を表しているようで、微笑ましくも頼もしい。

また、子供たちは哲学の授業から「愛」や「死」といったテーマを持ち帰り、家庭内でも思考が連続していく。両親とも一緒にテーマについて語り、両親もそれに応答していく。幼稚園だけでなく家庭も含めて思考する態度が訓練されていく様子が分かる。

哲学というと抽象的で、虚学の総本山という印象があるけれど、この映画で、様々なバックグラウンドを持つ子供たちが、暴力ではなく言葉と思考によって、相手を説得する態度を学んでいく様子を見ると具体的で実践的なツールとして哲学を使うことが出来るのだと言うことがよく分かる。
移民が多いという背景により「単純な一つの道徳」が暴力に成りうる土地、国において、まずなされるべき対話(これすら暴力かもしれないが、少なくともマシな暴力だ)を構築する上で、哲学の授業が有効に機能している。

私が見た回では、上映後トークショーがあって、移民が少ない日本ではこのような授業の要請はまだ少ないと語られていたけど、例えば北海道と沖縄の子が遠隔で対話するような哲学の授業というのは潜在的に要求されているのではないかと思う。

道を聞かれた 新宿

西新宿のあたりで、初老の女性に十二庵?という場所が無いか聞かれた。
聞いたことが無かったので、知りませんと回答。
他の人にも聞いていたようだけど、他の人も心当たりが無さそう。

後から調べるとニューオータニのあたりに、そういう名前のお店があるらしい。
確かに、あのあたりのお店に行きそうな上品なお金持ち風の格好だったけど、無事辿りつけただろうか。