爆発する電脳物質ってなんなんだ。
それはともかくとして、日曜日のアニメ研究会の間、アニメーションと多重性について考えてました。
でも、うまくまとまらない。
コイルの大きなテーマとして、世界の多重性というのがあるのは確かだと思う。単純な現実世界-メガネ世界をはじめとして、金沢市(過去)-大黒市(現在)-???(未来)、子供-大人、コイル探偵局-黒子、自分-他人、アニメ版-小説版、etc...
その中に、視聴者-アニメという構造は意識されているのかという疑問がある。
初期のアニメーションは現実とアニメをシームレスにつなげようという戦略をとっているものが多くて、それは新しいメディアが、既存の社会に溶け込むための戦略だったんだろう。でも、いまはアニメというものが一定の強度を持つ事に成功し、「リアルなアニメ」なんて言い方も普通に使われたりしている。
今回のコイルでは、メガネを通した世界と、実際の世界にはズレがあることが明示されたわけだが、視聴者視点ではどちらも「アニメ世界」なわけで、今見ている画面がコイル現実世界なのか、コイル電脳世界なのかは注意深く見ないと絶対に分からない。ダイチ達がバスの中で足を踏み外したところを見ると、コイル世界においても現実と電脳世界の差はほとんど無いようだけど、
ここまで
後は6話をみてから考えよう。
設定に関する疑問も一つ
メガネって電源切れないのかな?
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