金曜日, 11月 20, 2009

ヨコハマ国際映像祭 CREAM 感想(会期中)

ヨコハマ国際映像祭 CREAMもあと10日を切ったのでそろそろ感想。

ただし神港ピア会場、しかもラボスペースにずっといて、NYK会場にはまだ行けていないのだけど。

とはいえ、今回の映像祭で一番面白いというか、エキサイティングなのはおそらくラボスペースだと思う。
クオリティは低いけど、それを補って余りある混乱というか混沌というか、わけのわからなさが存在している。

整理された展覧会を期待している人にとっては邪魔だろうけど、映像祭が「祭」であるならば、市民参加というお題目で、自由に映像と向き合っているラボスペースは確実に必要な要素だし、むしろラボスペースにこそ映像祭の核があると言ってもいい。

ラボスペースで行われている事が、果たして「映像」といえるかという問題は、自分の中ではまだ解決していないし、おそらく展覧会スタッフさえ答えを持っていないように思える。
大体、展示している側が「映像」だと思っているかすら、かなり疑問な部分もある。
とはいえ「映像」というのはものすごく幅のある言葉で、即座に映像か、そうでないかを判定する事が困難なモノがある。
個人的には、視覚情報と時間軸の存在が基準であると考えるけど、じゃあ音楽演奏は映像かと問われると判断に困るし、時間軸といっても時間の流れや時間解像度をどこまで許容するかはもっと判断に困る(あらゆるものは経年変化する)。

もう少し単純化して、映像スペクトラムというものを想定してみる。完全に映像と言い切れるものとして、とりあえず映画をスペクトラムの端に置いておく。
では、もう片方の端に何が置かれるか。建築?彫刻?絵画?
鑑賞者である自分自身が時間軸に置かれる以上、何を置いても違和感が生まれる。

個別の作品と対峙していると、作品との関係に閉じてしまうけど、明るく開放的なラボスペースでは、映像という概念と向き合うことが出来る。個々の完成度が低くて、没入できないとも言えるけど建設的に考えよう。

(まだ見ていないけど)NYKにある作品は各論であって、総論はラボスペースといえるんじゃないだろうか。
(追記 そんなことなかった)

ただ、ラボスペースを楽しむにはかなりパワーが必要になるんじゃないかな。
能動的に動いたり話したりしないと、わけがわからなすぎるし。
展示を見るだけなら、5分かからないし(祭なのに見るだけというのも意味が分からんけど)。
地元横浜や、周辺地域ならともかく、遠くから来た人にはハードルが高いよなあ。

とりあえず分かりやすいものだけ見たい人は、ラボスペースに入らない方が、気分良く帰れると思います。
ものすごく損するとは思うけど。


Youtubeに映像祭の動画があるので、雰囲気が知りたい人は見てみるとよいかも。
映像祭サイドが上げている動画
このうち週CREAMというコンテンツは、サポートクルーと呼ばれる、いわゆるボランティアの人たちが企画撮影編集してます。
他の動画でも撮影サポートクルーってのがあるはず。

それとラボスペースはtwitterアカウント持ってます

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