金曜日, 8月 01, 2008

最近読んでいる本

最近、ベルナール・スティグレールという哲学者の書いた、「象徴の貧困 1 ハイパーインダストリアル時代」という本を読んでいる。
この本のテーマ(というよりスティグレールさんのテーマ?)は、『本源的なナルシシズムの破壊』だそうな。
これだけだと良くわかないけど、具体例を見ていく限り、感情(情動)を消費対象とする事を問題視しているらしい。「泣ける」ことを売りにする小説や映画、あるいは「萌える」ことを売りにする漫画やアニメらを考えるといいのかもしれない。

これらのことから「物語消費論」や「データベース消費」という言葉が思い浮かぶ。スティグレールはマーケティングについて良く語るようだけど、「物語消費論」がマーケティングに使われていたとか何とか書いてあった事を考えると、きっとこれらは近い位置にあるんだろう。

もう5,6回読まないと、内容を掴めないとは思うけど、「第三次過去把持」という概念に関しては今のうちにメモしておきたい。
「第三次〜」の前に、第一次と第二次を簡単に説明すると、「第一次〜」は現在の瞬間の連続性を知覚すること、「第二次〜」は思い出す事によって過去を頭の中に再構築すること(再生的想像力)らしい。
詳しくは、フッサールの「内的時間意識の現象学講義」を参照せよとのこと。
で、第三次はなにかと言えば、機械によって記録(物質化)された時間的なもの(録音再生が例示されている)のことだそうな。この3つが渾然一体となって我々の記憶を構築しているというのがスティグレールさんの世界というか人間観みたい。

このあたりの考え方はキットラーと比較してみたいところ

そして、おそらくこの「第三次〜」と関連して、技術(機械)が記憶を継承する(あるいは機械に記憶を継承させる?)ということも言っていて、これはソフトウェアとはいえ、マシーンを作る人間として素朴に共感できる。
卑近な例だけど、僕は作業の効率化のために簡単なツールを良く作る。

今の職場環境はそれがやりにくくてストレスがたまっている

これはプログラムを書く人なら誰でもやる事とは思う。その多くはその場限りの使い捨てだけど、たまに再利用したり、他の人が使いたがるようなものが出来たりする。この時点でツールは単なる道具から、作成時点での自分の記憶を継承する機能を持ち始める。あの時考えたうまいやり方を、ツールの形にすることで、未来の誰か(当然自分も含む)に継承できるようになるわけだ。
もちろん完全無欠のツールなんて存在しない(そもそも書き捨てのつもりだったし)から、新しい良いやり方を思いついたら、そのツールを改造したり、スクラッチで一から書き直したりもする。でも、その作業だって、最初のツールがきっかけになっているのは言うまでもない。
僕がプログラムを書いていて一番楽しいのは、こういうツールが継承され、改良されていく風景を見ることだったりする。逆に、改良することが許されなかったり、何らかの理由で他者に改良を許せない状況にあるのは非常に辛い

FOSSに賛同するのは、結局この幸せを享受するためなのかもしれない(といっても何かのコミッタというわけではないけど)。
感情消費社会への対抗として、スティグレールさんが目指しているところはFOSSやMake、Craftの精神に近いものがあるような直観がある。

同じくスティグレールさんの本で、「現勢化 哲学という指名」ってのも読んでいるけど、こちらは自伝っぽい。でも、今の僕には内容が濃すぎて、平行して2冊読むのはちょっと無理っぽい。

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