日曜日, 8月 31, 2008

LL Futureにいってきて

久々の中野はマルイがなくなった以外はあまり変わらず。
用事があったので「LLでアート」まで見て、帰ってきました。

で、その「LLでアート」について。

プログラム(予定表のほうね)では、「ファインアート」とあったので、結構期待したのですが、半分以上はコマーシャルと結びついたものだったので、ちょっとがっかりでした。
#結びついちゃ駄目ということは無いんですが

発表されたものだけだと、「変なモノ作りました」レベルと「アート」の境目が良くわからないのですよ。こんなこと出来るよ!っていう発表だからあれでもいいんだとは思うんですが、メディアアートの追っかけをしているような人から見れば、フラストレーションがたまるわけです。

真鍋さんが質問への回答で、「メディアアート」「メディアアーティスト」というものが現在存在しているかも微妙と言っていたように、「メディアアート」って社会的には、絵画や音楽のように認知されていないわけで、その辺のことをもっと語って欲しかったのだよね。
つか絵の具や紙だって「メディア」だし、なぜLL(コンピュータ)を使うとメディアアートで絵の具と紙だと絵画なのかってのはメディアアートが10年後どうなるかに強く関わるわけだし。

とはいえ、質問の前振りにあった「メディアアート」「インタラクティブアート」が作りやすくなったという現状は、例えば絵の具や紙が工業的に大量生産されるようになり、たくさんの画家が生まれたのと同じインパクトをもたらすことが期待できるわけで、それ自体は歓迎することなわけです。
昨日の「LLでアート」を見て、日曜メディアアーティストが大量に出現するというのは、ICCが休刊しちゃうような現在から、10年後もメディアアートが元気でいるには絶対必要なことだと考えます。

お二人の回答はどちらも、世界をセンスするデバイスが公共に溢れることで、メディアアートが生き残るようなことを言ってたけど、それって公共空間にしか発表の場が無くなるって予想なのかな?
それとも情報化された公共空間をHackする道具としてのメディアアートが作られるという意味かな?
それを見たら結局面白がると思うけど、公共空間の情報化に頼らないと成立しない作品ってのは、ちょっと寂しいような気もする。

このあたりのことをもっとうまく言語化したいなあ。

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