芸大でネグリさんに関連するイベントをやっているらしい。
でも、

ということで、何だかよく分からない雰囲気になっている。
同じ時間帯に東大安田講堂で討論会があったようで、そっちは盛り上がっていたのかもしれない。
ネグリさんが来れなかったのは残念だったけど(主催者側の根回し不足なのか、官僚的な問題なのかはよくわからんが)、やけくそ気味のカオス状態に突入しているようにしか見えない。
ネグリさんを知らない(あるいは知らないふりをしている)人をとっつかまえて、ネグリさんが来れなかったことを愚痴る様に訴えている人も見かけたが、さすがにそれはどうかと思う。
マルチチュードは中心が無くても何とかなる状態、様態だと思っていたけど、この一連のイベントはネグリさんが中心にがっちり固定されちゃっていたんだろうな。
そもそも、主催側としては日本にはマルチチュードが無いという認識らしいけど、コミケというイベントがこれだけ長い期間継続して開催されているのは、それへの反論にならないのだろうかね?グローバル化=帝国と対峙しなければマルチチュードでは無いのかな?
東大や芸大にとってのマルチチュードっていったい何なんだろう。
それはそれとして、木幡さんはマルチチュードを有象無象と呼びたいそうな。素晴らしい翻訳だと思う。
で、満開の桜にマルチチュードが集まっている上野公園を通って、

目黒の庭園美術館へ。

建築写真の展示だったけど、買ったばかりのデジカメで撮影するのが楽しかったことしか覚えていない。
